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祖が人のみは書かざる

国分町の交番に被害届けだして、軽く現場検証してきました。
とりあえず盗難届けの管理番号を貰ったのですが、
「674」番。
空し・・・

見つかりそうもねぇ・・・

最悪・・・一ヶ月して見つからなかったら、盗難保険で安く同型車が手に入るので・・・
期待したくもないけど。

さて、そんなこんなで精神的に滅入ることが続いて夜眠れない昨今。
どうせ眠れぬ夜なら、こちらの掲示板で議論にでも参加してみようかと思い、早速メンバー登録を行なって、
とりあえず私にとって身近なテーマである「神」について、愚考を文章に纏めていたらいつの間にかすっかり夜が明けてしまって、
どうすんだよ今日、ってな感じです。

書きかけの文章ここに置いといて、少しだけでも寝ておきます・・・

まず、私が「神」という存在を認識する目的から。
簡単に言ってしまえば、「私が」そのような存在を必要としているからです。
「絶対的なるもの」を設定し、それに抱かれていると想定することで、精神的な安楽を得る。
その目的のために、私は「神」を思い抱きます。
しかし絶対的な拠り所とするためには、それは「私が」何の疑問もなく寄りかかり得る定義をもった存在でなければなりません。
既存の宗教の規定する神では、その絶対的な信頼には値しない、と私は考えてしまいます。
ゆえに、ここで「私の神」(以下、単純に「神」と表記)というものを一から考えなければなりません。

以上を踏まえたうえで、「神」という存在の定義について、
私は「絶対的に大いなるもの」とだけ定義します。

「神」は、これ以上の「定義」を一切持ちません。
これ以上の発展を許さないために導かれる定理として、「神」は一切の人格及び設定を持たず、発言・行動を起こさず、ひたすらに沈黙した存在であるとします。
なぜなら、「神」は一片の疑問も差し挟む余地のない、完璧な存在でなければならないからです。
一片たりとも疑問を差し挟む余地が存在してしまうのでは、それはもはや絶対的な信頼を寄せるには値しなくなります。
少なくとも、歴史の積み重ねによって肥大化し、自らの教義の内でさえ矛盾を抱いて難解な論理での弁明を必要とするようでは、とても信頼には値できないのです。
「神」にかかる神話・教義・説話等が「神」の絶対性を揺るがしかねるなら、「神」からはそれらが排除されねばなりません。
この排除は徹底的に行なわれるべきでしょう。
少しでも引っかかり得るものを残してしまっては、蟻の穴から堤が崩れるがごとく、「神」の絶対性が瓦解してしまう危険性があります。
ゆえに、私はまず「神」から、思考可能な限りすべての規定を排除しようと試みます。

しかし、この「規定を排除する」方向で思考を深めていくと、ひとつの問題に突き当たります。
神から一切の設定を排除しようとするなら、以上で私が思考した設定すらも排除されなければならなくなってしまうのです。
「思考可能な限りすべての規定を排除する」以上、「神」からは私の思考すらも排除されねばならない。
ここで、「神」は私の前から消え去ります。

・・・しかし、それではいけません。
目的は「精神の安定のため、絶対的な存在を想定する」ことであったのに、肝心の対象が消え去ってしまったのでは意味を成さないのです。

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2011.12.08 Thu 07:33  bvrjkTGhfmZ







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