かみさまのふねneo

Date : 2008年11月

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心に残る名言 14

不平、悪口は精神のオナラなり。

(福田亮成「コトバのまんだら」より)


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濁り茶を濁す

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「『クレタ人は嘘を吐いている』とクレタ人が言った」

自己矛盾
命題を絶対化する試みゆえの歪み
その解決法

「要するにクレタ人は嘘を吐いていた」

ソクラテスの妻は悪妻であったと言うが
あんな人の妻となっては、誰だって悪妻とならざるを得まい

そして彼女ゆえに、まさにソクラテスは今日の地位に座らされ得たのだ

例えば「ツンデレ」という概念を定義するにあたり
文献学的アプローチを用いるべきか
或いは社会学的アプローチを用いるべきか

問題となるのはその点であろう

「自己」は拡大する
周辺の事象や概念を取り込み、自らの血肉として、自身を充実させてゆく
やがてそれはひとつの「宇宙」となり、世界となる

人生の目的とは、まさにそれなのではなかろうか
自らの「世界」を拡大し、充足させるために…

「自分たちの所為で地球が……」

そんな認識こそがまさに傲慢なのだと
その可能性を鑑みた上での発言かね?

「私」とはこの感覚全体の総称である
ゆえに私はどこにも存在せず、かつすべてにおいて散在する

あきらめには二つの種類がある

即ち、「許容するあきらめ」と「拒絶するあきらめ」である

「宗教など所詮は弱者の逃げ道」

然り
しかし彼に、殉教者の純真な狂気を嘲笑うことは出来ない

人外知性体はヤンデレキャラになり得るか

もとより生得倫理規範を、「共通的枠組み」を持たぬ存在に向かって
われら人類の規範を押し付けることは論理文脈的に妥当し得る行いなのであろうか

「(「私」の中で)(「世界」にとって)もっとも大切なものとは何か」
まず、私自身に向かって、それを問いかける
そこからすべてを始める

誰かのせいにしないと
誰かを悪者にしないと
やっていけない苦しみ

誰も悪くなんかないんだよ
そんなのはわかってるけど

強さがほしい
弱さを許せる強さが

「大人になる」とはきっと、いろいろなものを許すことなのだろう

少なくとも

「自分は末期であるか否か」
「○○なる状態で××なることを考えているので、末期であると判断できる」

そんなことに割く容量の余裕があるうちは、まだ末期ではない

受付嬢的な

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